工場立ち上がり1年目のスタッフ
2013年09月23日
新工場に引越ししてから毎日が戦いだった
一番大変だったのは、やはり人です(;´Д`)モウヤダ
人数が増えたのでその教育です、少人数だと末端の作業員まで僕の目の届くところにいたので注意できましたが、工場が大きくなるとそうはいきません。
いわゆる管理職候補のスタッフに監督させなければいけないのですが、この管理職候補スタッフがなかなか育ちません。
新工場の立ち上げに合わせて大卒の生産管理スタッフを数人採用したのですが、なかなか僕が求める人材ではなくて、辞めさせたり、辞めていったりで1年目のスタッフの離職率は100%以上だったと思います。
10人のスタッフが欲しかったら、20人以上採用しないと10人定着しないような状態です。
あの頃は赤字工場なので、できれば少数精鋭で工場を回したかったんです。
だから試用期間をパスするハードルは今より数段高かった。
また今でこそあまりスタッフを怒鳴ったりしなくなりましたが、当時は若さと焦りから1日1回は怒っていた気がします。
その頃の方針は、頑張った奴は頑張った分だけ待遇が良くなる、頑張らない奴は必要ないって感じでした。
頑張ったスタッフは学歴が低くても優遇しましたし、学歴が高くても出来ないスタッフは辞めてもらいました。
人材育成のためにやったことを思い出して箇条書きにしてみます。
試用期間中は毎日英語でレポートを書いて僕に提出。
入社試験はもちろんあったのですが、2ヵ月目と3ヵ月目にテストをしてパスしなければ試用期間もパスさせません。
朝、昼の会議の徹底、議事録の作成。
スタッフが交代でニュース記事を書いて掲示板にはる。
何かミスをすると、皆で協議して相当の労働をするというシステム。
厳しいシステムばかりではありません、
日給の作業員が月給のスタッフになれるシステム。
月に1回テストがあり、希望者はそのテストに合格すると手当てが増えるシステム。
月に一回会社がお金を出しての夕食会
まだまだありますが、こんな感じで規律のある組織作りを目指しました。
今でこそ当たり前のことも多いですが、ゼロから会社を作るということは当たり前のことをやらせることから始まります。
小さな工場からついてきてくれたスタッフと、この時期に採用になって乗り切ったスタッフは今ではみんな役職付きのお偉いさんになっています。
当時僕が工場長で後は役職なしのスタッフだったのですが、今では僕が社長になり、工場長、人事部長、生産管理部長、購買部長、開発課長、品質管理課長、メンテナンス課長、資材課長、などなどと役職を付けてもらいました。
この中には高卒で日給の作業員だったスタッフも数人います(・∀・)イイ!!
僕の会社は大きな華僑のグループの一つですが、人事の全体のポリシーは本社の人事が統括します。
よってグループ企業の役職などの条件を満たしていないと役職はもらえません、僕が勝手に役職を付けるわけにはいかないんです。
小さな会社だったら全員が役職付きって会社もありますが、うちのグループは何人以上の部下がいてどれだけの実績があるかなどで評価されます。
僕の会社はぼくより年齢の低いスタッフがほとんどです、僕より年上は2名だけかな?
だから30歳の工場長、20代の課長なんてグループ初ばかり人事なんで、最初は役職をもらうのが大変でした。
まだ〇〇は29歳だからマネージャーにはなれない!っていう本社
タオ「年齢なんて関係ないでしょ、今の僕の会社の利益は〇〇の数倍ある、そこの工場を管理している人間を工場長って呼ぶのは当たり前、その部下にも役職がつくのも当然だろう」( ゚Д゚)ナニカ?って本社の人事部長とBOSSに直訴しました。
いつもグループで決めたルールに文句を言って、ルールを変えたがる日本人って思われていたでしょうね。
なんとかBOSSのお兄さんにもプレゼンして認めてもらいました。
なぜ役職を付けたかったのか?
役職付いたらかっこいいでしょう!ってのは冗談ですが、
給料を上げるときに4万バーツ以上は課長以上 6万バーツ以上は部長以上、10万バーツ以上は工場長ってルールが本体にあるんです、部下の給料をあげるには役職もいっしょに上げないといけないんです。
給料を上げてあげて生活を良くしてあげることが、鬼のような僕を見捨てずに支えてくれた部下にできる一番の御礼です_| ̄|○アリガトウ
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(゚Д゚)ハッ まだあった!

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一番大変だったのは、やはり人です(;´Д`)モウヤダ
人数が増えたのでその教育です、少人数だと末端の作業員まで僕の目の届くところにいたので注意できましたが、工場が大きくなるとそうはいきません。
いわゆる管理職候補のスタッフに監督させなければいけないのですが、この管理職候補スタッフがなかなか育ちません。
新工場の立ち上げに合わせて大卒の生産管理スタッフを数人採用したのですが、なかなか僕が求める人材ではなくて、辞めさせたり、辞めていったりで1年目のスタッフの離職率は100%以上だったと思います。
10人のスタッフが欲しかったら、20人以上採用しないと10人定着しないような状態です。
あの頃は赤字工場なので、できれば少数精鋭で工場を回したかったんです。
だから試用期間をパスするハードルは今より数段高かった。
また今でこそあまりスタッフを怒鳴ったりしなくなりましたが、当時は若さと焦りから1日1回は怒っていた気がします。
その頃の方針は、頑張った奴は頑張った分だけ待遇が良くなる、頑張らない奴は必要ないって感じでした。
頑張ったスタッフは学歴が低くても優遇しましたし、学歴が高くても出来ないスタッフは辞めてもらいました。
人材育成のためにやったことを思い出して箇条書きにしてみます。
試用期間中は毎日英語でレポートを書いて僕に提出。
入社試験はもちろんあったのですが、2ヵ月目と3ヵ月目にテストをしてパスしなければ試用期間もパスさせません。
朝、昼の会議の徹底、議事録の作成。
スタッフが交代でニュース記事を書いて掲示板にはる。
何かミスをすると、皆で協議して相当の労働をするというシステム。
厳しいシステムばかりではありません、
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まだまだありますが、こんな感じで規律のある組織作りを目指しました。
今でこそ当たり前のことも多いですが、ゼロから会社を作るということは当たり前のことをやらせることから始まります。
小さな工場からついてきてくれたスタッフと、この時期に採用になって乗り切ったスタッフは今ではみんな役職付きのお偉いさんになっています。
当時僕が工場長で後は役職なしのスタッフだったのですが、今では僕が社長になり、工場長、人事部長、生産管理部長、購買部長、開発課長、品質管理課長、メンテナンス課長、資材課長、などなどと役職を付けてもらいました。
この中には高卒で日給の作業員だったスタッフも数人います(・∀・)イイ!!
僕の会社は大きな華僑のグループの一つですが、人事の全体のポリシーは本社の人事が統括します。
よってグループ企業の役職などの条件を満たしていないと役職はもらえません、僕が勝手に役職を付けるわけにはいかないんです。
小さな会社だったら全員が役職付きって会社もありますが、うちのグループは何人以上の部下がいてどれだけの実績があるかなどで評価されます。
僕の会社はぼくより年齢の低いスタッフがほとんどです、僕より年上は2名だけかな?
だから30歳の工場長、20代の課長なんてグループ初ばかり人事なんで、最初は役職をもらうのが大変でした。
まだ〇〇は29歳だからマネージャーにはなれない!っていう本社
タオ「年齢なんて関係ないでしょ、今の僕の会社の利益は〇〇の数倍ある、そこの工場を管理している人間を工場長って呼ぶのは当たり前、その部下にも役職がつくのも当然だろう」( ゚Д゚)ナニカ?って本社の人事部長とBOSSに直訴しました。
いつもグループで決めたルールに文句を言って、ルールを変えたがる日本人って思われていたでしょうね。
なんとかBOSSのお兄さんにもプレゼンして認めてもらいました。
なぜ役職を付けたかったのか?
役職付いたらかっこいいでしょう!ってのは冗談ですが、
給料を上げるときに4万バーツ以上は課長以上 6万バーツ以上は部長以上、10万バーツ以上は工場長ってルールが本体にあるんです、部下の給料をあげるには役職もいっしょに上げないといけないんです。
給料を上げてあげて生活を良くしてあげることが、鬼のような僕を見捨てずに支えてくれた部下にできる一番の御礼です_| ̄|○アリガトウ
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